50の手習い。「オッサンの管釣りブログ」

50を過ぎてから管マス釣りを始めた素人オッサンの記録と、何故かフェラーリのメカニズム解説、自作ギターアンプやオーディオアンプの紹介、副業である執筆業のことも時々解説しちゃう。

底辺物書きの、あれこれ話その② 原稿が仕上がるまで

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底辺物書きである私が初出版した時、

↑この本です

原稿が仕上がるまでの過程を今回は紹介してみたいと思います。振り返ると私の場合、文を仕上げる効率が悪すぎる故の手間が掛かっているため、他の作家さんとはだいぶプロセスは違うと思いますので、ご参考まで。

最初に講談社の担当さんから告げられたのは、フェラーリのメカニズムやウイークポイントを淡々と解説していくことと、車種別でなく、エンジンとかミッションみたいな機構別で章を分けることでした。

それまで数千文字を超える長文など一度に書いたことが無かった私は、かつて運営してましたハネウマナイネンキの文章をコピペして繋ぎ合わせたり、これも入れとくかという新規ネタを、当時の口語文で所々に寒いギャグなど入れながら何とかかんとか纏め上げ、解説文に相当する写真を張り付け、自信マンマンでできましたと提出したところ、暫く間を置いてからホボ全ての文章に担当さんの手が入った状態で返却されてきました。

どうもその趣旨は、寒いギャグとか不要で文章はなるべく簡潔に、「だ。」とか「である」とかの断定口調で、イメージは学術書みたいな感じなんでしょう。そういえば出版される部門は学術図書だったので、その趣旨に沿った文章の構成も求められた訳です。

で、担当さんが全書き直しする位に手を入れられることを想定していなかった私は、いやこれ人の手が入った文章を更に推敲するのは何か嫌だぞと、全ての文章を書き直す決断をしたのでありました。

そこからが結構辛かったですね。HPで確立していた(と自分では思っていた)言い回しなどの表現方法が使えなくなった訳ですから。まず簡潔な言い回しって何だ?ってとこから始めて、参考にするため古文とか読んだりして。

で、最初のうちは文体を変えるのに四苦八苦してましたが、慣れてくるとそれでスラスラ記述できるようになりまして。お陰で現在は、このブログのように話し言葉ベースと、要点だけを堅苦し目に淡々と記述するという、2つの文体を書き分けられるようになってしまいました。

そんな2回書き直して仕上げた原稿を提出したところ、大体OKになったようで、その次は、内容を紙に印刷した物が送られてきました。それまで原稿はワードファイルでやり取りしていたので、それと比べると実際に製本された時のレイアウトやフォントになっていて、いよいよ形になるんだと感慨深かったですね。紙に印刷したものに赤ペンを用いて訂正や追加の書き込みをして推敲していく手法が、結局最後は昔ながらの方法に頼って仕上げるんだ。と、驚きでもありました。

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こんな感じです。

この段階では大幅に訂正することは無くなっていましたが、予定より多くなった文字数を圧縮するため、言い回しが冗長である箇所を更に削ることがメインの作業となりました。

あと、単語に厳密であることを求められるのが、個人のブログとかとは全然違うことでした。例えば、スプリングが別のところでバネになってちゃいけないとか、F355とか車種を表記する箇所は全角文字で、10kgなど数値や単位を表記する箇所は半角文字を使うルールなど、これらが合っているかをチェックしていくのも大変な作業で、文を書いてお金を貰うには、ここまで気を使わなければいけないんだと。プロの厳しさも味わったのでありました。

その間、拗ねて半年位放り出していた期間も含めて4年位掛かってしまい、まあ良くその間待って貰えたなと。

そんな紆余曲折や膨大な手間を経たものが店頭に並んだ時は、感激のあまり舞い上がってました。これは次著の前書きにも書いているんですが、出先で本屋を見つけたら並んでいるか探して、並んでたら勝手に目立つ場所に置き直したり、Amazonのランキングを毎日チェックして一喜一憂したり。今思うと只のアホでしたが、とても良い経験をさせて頂きました。

現在は、入稿を終えた次著が世に出るのを楽しみに待っているところです。